映画を2回ほど見ているんですが、ノベライズでの描写がどうなっているか気になって読んだわけです。
ちなみに映画の感想はこちら→超かぐや姫!
また、この記事はnoteの転記です
ちなみに当記事全然ネタバレを含みます、ご容赦ください。
動機
読んだ理由としては、公式が続々とあげてくれる動画につけられていたお勧めをする旨のコメントで
①彩葉兄と乃依が同棲している描写がある
②芦花は彩葉が実は好きという描写がる
という2点を見かけたからです。非常に邪道。
実際
で、実際どうだったかと言うと
①あるにはあった。
が、彩葉のモノローグとして「同居している」という事実列挙があることと
それを母親に許容されていないという報告が兄と彩葉との会話の中にある(孫を諦めきれないらしい、という表現)程度
まぁ、主軸の話でもないし、映画でも兄の左手薬指に指輪がはめられている、という描写があるのみですし
そんなものか、ではある。
②なかった(感じ取れなかった)
百合豚の妄想か、深読みか。そもそもそんなコメントはなくて僕の思い込みだったのか
マジで一切汲み取れなかった。
とはいえ、芦花と真実は実は彩葉と同じく学業をおろそかにしない学生であり、例えば彩葉に花火大会のちらしを渡して「夏休みの宿題がおわってない」と消えたシーンも、映画では「彩葉に学業を頼っているし宿題もぎりぎりまでやらないちょっと抜けてる子達」みたいな認識で止まっていたんですけど、小説ではそれに対して彩葉がモノローグで「二人ともそういうことは計画的に終わらせるタイプだ、気遣いが身にしみる」と表現してるんですよね。
なんなら、序盤の「彩葉ノートで赤点回避」発言も彼女に頼りおんぶにだっこ、なわけではなくて「そう言うことで奢られることを気負わせない」という配慮だったりする、という。
このあたりは本当にノベライズでないと汲み取れない(汲み取れなくても致命的ではない)部分だったので読んでよかったな~と思っています。
全体の感想
上記の通りなんですけど、まずは『読んでよかったな~』でした。
ラノベなので、めちゃめちゃ軽く、さっくり読めますし。
一方で、映像のイメージありきだな、という箇所も少なくはなかったですけど。
ド初っ端の、ヤチヨのモノローグがあって彩葉の描写があって、という部分なんかは、映画を見ていて、あの映像を脳内再生をするからいけるんであって、文章としては申し訳ないけどめちゃめちゃ読みづらかった。先に小説読んでたら「いいやもう」と投げかねなかった。
まぁ、あの部分だけは「あの感じ」を文章に起こすのはやりづらいよな…と思いますが!
そこ以外はとても読みやすかったですからね…!!!
小説でしか読み取れない部分
上記でも少し触れましたが、まず大量の彩葉のモノローグが存在しています。
彩葉視点の一人称小説なので、あらゆるシーンで彼女がどう思っていたかが逐一描写されます。
この作品、アニメの方って思い返せばびっくりするほどモノローグって存在しないんですよね。
口にしたこと(独り言、ボヤキも含む)だけしか汲み取れない。
例外的にかぐやが帰ってしまったあと、やっと彩葉が登校した日の帰路、くらいにしか彩葉のモノローグって存在しなかったような…2回しか見ていないので他にも該当するシーンがあったら全然申し訳ないんですけど…。
なので、どんなときにどう思っていた、どう考えていたかという彩葉目線の掘り下げが凄まじかったです。
彩葉母について
その中でも特に、彩葉の掘り下げと同時に連動付随で出てくるのは「彩葉母」になるんですけども。
厳しくて折り合いがつかなくて、ということは流石に映画だけでも分かるものの、それがどのくらいの度合いのものなのか…というのは全然ピンとこないんですよね。
いえ、高校生に生活費学費全部負担させて一人暮らしをさせているという点でまぁ大分凄まじくはあるんですけど…w
上記だけでいえば、わかりやすく毒親で…まぁ、実際毒親なんだとは思うんですけど。
彼女自身はおそらく親に放任された子供時代を過ごしていて、下の子もいる中で自力自立で物事をこなしてきたという人生を送っていて。だからこそ彩葉に対して出す条件も「無理を言っているのではない、自分はできたことなのだから。」という思考なんですよね。
いや、…無理を言っている自覚自体はあるとは思いますけども。
彩葉が一人暮らしをしたい、という要望に対して、おそらくは止めるつもりで出した条件が『活費学費全部本人負担』だったんでしょうし(そのうえで自分ができないような無理を言うのはフェアではないという思想)それに対してまさかの娘がそれを飲んで家を出てしまっただけで……。
彩葉も終盤、やっと母親と電話で話ができた後にそう述べているんですが「脅すような言い方でしか心配できない人」であっただけなんですよね…いや、そういうとこが毒親なんだけど。
ただ、彩葉父が存命だった時期はそうではない、という描写もあって。
最初からキツかったわけでもないのが、自分としては『毒親』と切り捨てられないなぁと思ってしまう所でした。
片親となってしまったときに、たとえ一人でも立派に子ども達を育て上げよう!と気を張り詰めすぎてしまったんじゃないのかなぁ…。
…それが翻って子の負担になってしまうのなら、間違いなく毒親ではあるんでしょうけども!!!
うまくできたと持って報告しても褒めてもらえない、というのは辛いことだと思いますしね。
とはいえ、彩葉母視点で彩葉父存命時からの物語を描いてもらわないと流石に汲み取れないな…。
あくまでも『これ』は彩葉の話で、娘から見た部分でしか汲み取れない母像、であることが大事だと思うのでこれでいいんでしょうけどね。
かぐやについて
かぐやについてもモノローグとしての追加が存在します。
正確には「かぐやを追体験している彩葉」になるんですが、そうFUSHIに8000年を見せてもらっているあの瞬間です。
あの瞬間の彩葉は、長い長いその期間のかぐやを俯瞰して眺めていたという処理なのかな、と思っていたので、まさか追体験させられていたとは思いませんでした。そりゃ、人の体では耐えられないかも知れない、と言うよ、FUSHIも。
各時代で出会った人たちが一言二言、言うか言わないかというシーンが連続するあの瞬間ですが、ノベライズでは、隕石にぶつかり、自分の状態を察し絶望したあと、長い間そもそも人に出会うことすらない孤独な期間。
人と交流があってからはほぼ映画のあの連続カットのシーンではあるものの、CAI(!?)に頼んで正倉院(!?)に保管されている船を盗み出してもらったこと。
その間もずっとヤチヨを探していたこと。
そして初めてインターネットに接続できて身体を持たない自分でも好きに仮想空間で動ける状況を作れるかも知れないとあれこれ想像を膨らませたときにやっと、自分がヤチヨに成るなるのだ、と悟ったところまで。
そこまでの孤独と苦悩とはさすがに行間の想像はしても描写はされなかったわけで、やっぱり、読んでよかったな、と思いました。
(rayMVだとそこに該当するんだろうなというカットがいくつかあって深みが増しますが)
いろはが己をヤチヨだと察するの、そんなにギリギリの際の最近まで気づけないものかな、と思ってしまう部分もあったんですが、まぁ…まさか自分が、とは思うか。
そして、そこまでの長い長い期間探し続けてきた彩葉が目の前に再び現れたら、もうあとはなにがあったって笑顔になちゃうよな。
映画中でも特に気にしていなかった「ヤチヨはどうしていつも笑っていられる」のアンサーが考えてみれば当たり前なのにノベライズでかぐやがそれを理解るまで、自分もそこまで汲み取れなくて、汲み取った時にまた泣いてしまった。
終わり方について
ノベライズでの終わりは、映画の終わりのほんの少し前で〆られます。
いろはのボディの初回テストを控え、ドキドキするね!と二人で言い合って、そこで終わる。
映画では、その後実際にボディに入ったヤチヨが、身体の重みを体感してまだ未実装の味覚嗅覚に思いを馳せるところまで行くきますからね。
どっちの終わり方もいいと思うし、ノベライズがあって、映画があって、rayのMVがあって、その全てで初めて『完成』だとも思っている。
総括
まるで、ノベライズ単体では終わられず、映画単体でも不十分な部分がある、からrayのMVがある、みたいな書き方だな。
そんなつもりは全く無くて、それぞれを知らなければ別にきちんと単体で形になっている作品ではあります、もちろん。
その上で好きな人は更に手を出して情報を深めればいいだけなわけで。
一方で、それぞれを知ってしまえばそう感じてしまうのも全然正しいと思っています。
だって、ノベライズのあの情報量の彩葉のモノローグを入れたら、1クールアニメくらいのテンポで物語を進めるなら成り立ちはすると思うけども、あの作品の良さってあの尺であの疾走感だからこそ『良い』わけで。
削ぎ落とすべき情報なのは確かだな、とも思うので。
その削ぎ落とされた部分を見つけて、拾って、はめ込んで、更に自分の中でこの作品の深みを感じることができるようになれてよかった、と今はそれだけを思っています。
彩葉の思考をインプットできた今、3回目の鑑賞をしにいってもいいのかもな。