ちなみに映画の感想はこちら→パプリカ
また、この記事はnoteの転記です
映画を最近今更見た際に色々検索していて原作があることを知ったので遅ればせながら読んだ
という経緯です。
本の感想
合間合間に挟まる官能的な描写は体感として全体の1/4を締めているし、終盤1/5は奇書ドグラ・マグラと肩を並べられるくらいには奇書(読書進度80%こえてからそうだったのでこれは事実)だったし、男尊女卑の思想があまりにも強く差別的に過激(これは作者がそういう思想なのではなくそういう思想が強い登場人物がいる、という意味)で、こっちはこっちですごい作品だな…と思いました。
大まかに感じたことは映画の時と大きな差はなくて、どうしても映画との差異を比較したり、映画にはなかった描写で喜びを得たり、のほうが大きかったのでそういう作文になっています。
大まかに感じたことは映画の時と大きな差はなくて、どうしても映画との差異を比較したり、映画にはなかった描写で喜びを得たり、のほうが大きかったのでそういう作文になっています。
映画との比較
映画を見た時の印象は大分ぶっとんでるな、だったんですが、アニメに起こす際に大げさにぶっとんだ内容にしたのではなく、なんなら原作よりもだいぶまとまりを取ったうえで、小規模なものにして、表現も相当抑えて『あれ』だった、ということにびっくりしています。逆に感動すら覚えました。
どなたかの感想か何かでで見かけたのだと思うんだけど、『「オセアニアでは常識」ミーム』で有名な島所長の演説を「頼まれれば自分で描いたのに」と筒井康隆御大が述べたという話、真実なんだろうなと思ってしまった。映画内においてあのシーンは日常に溶け込めているようでじわじわと露出する違和感を巧みに表現した長台詞だったと記憶しています。
原作にあった「違和感を抱かせる程度の小さな異常行動」を演説の形でものの数秒で見事に表現している(あの台詞の冒頭数秒は普通の会話に聞こえなくもないため)部分は本当に秀逸だと思っています。
一方で、内容は存外理路整然としたものなんですよね。見ている悪夢の内容を述べているだけ。
その後スクリーンに描かれる異様な光景を事前に説明しているだけ。
だからこそ、その後の狂気人形パレード悪夢という映像作品に、置いていかれずに魅入ることができるんですが…
映像作品としては説明的すぎないうまい表現、であった一方で『狂気の表現』としてはたしかにぬるいのかもな…と原作を読みながら思っていました。
それくらい原作は狂っていたように感じた、ということです。
だってまじで意味わかんないもん。
終盤の台詞と描写、夢と現が交錯して、正気と狂気が交錯して、本当に結構奇書のレベルだったもん。
登場人物の差異やまとめ方
大きな差としては能勢さん周りが綺麗に消えたうえで、粉川さんと統合されていた感じ。
劇場版ボリュームにするにはそうするしかないのはそう。
そして、どちらを消すかとなれば『事件に協力する』立ち位置にさせやすいのは立場上警察なので、大規模会社重役の立ち位置が消されるのも、それはそう。
というか能勢さんをはじめ前半部分をけっこうがっつりカットされているんですよね。
映画開始時点で氷室くんはすでに精神章患者の夢に犯されていたし、島所長もすでにその夢を仕込まれていた後だったわけで。
事務所内権力・ノーベル賞関連・功績争いをまるっとカットして、シンプルにDCミニの所在・取り合いの抗争に焦点を絞った結果、戦いの渦中から始めることにした、ということだとは思うんですけども。
仕込みを描く時間なんて、尺の関係を考えたらないですものね。きれいなまとめ方だな、と改めて思います。
あと、「夢探偵」の中身は能勢さん寄り(映画が好き)+粉川担当の直近事件+映画としてのオリジナリティ(映画監督をしたいという夢があった)になっていたのかな。
映画感想を書いてたときに『原作があることをわかっているので、映画監督周りの夢描写いおいて監督が自身と重ねている、とは考えられない』と書いていたんですが、原作にない描写であったことを考えると、もしかしたら重ねている部分だったのかな…などと思いました
『夢が犯される』というキャッチコピー
原作を見ると、なるほどと納得できたキャッチコピーでした。
DCミニの使用によるアナフィラキシーは映画においては上記の通り序盤で誤って飛び降りそうになった、くらいしか影響として認識できていなかったんですよね。
夢の中での戦いは「相手に挑むぞ!」と意図して侵入している行為(覚悟を決めてCDミニを付けて入眠している)と捉えて見ていたので。
一方で、原作においては、DCミニを装着してもしていなくても、装着経験があれば同タイミングに寝ていた場合に意図せず夢が混ざりあい、はちあえば戦闘となる休まらない状況、になっていたわけです。
安眠ができない、相手の意思で自分の夢がかき回される。
も、もちろんですが、死んでもなお悪夢を垂れ流し続ける(どういう原理?)残留思念めいた存在までいるため、敵味方関係なく危険な状況になることもあって、たしかにそれは『夢が犯される』と表現して差し支えない状況だな、と納得したのでした。
それはそうと原作・映画共に、終盤の夢が現実に氾濫してくるさまはDCミニの装着経験有無は関係なくなってくるものではあるので、最終的にはやっぱり『現実が犯される』だったなとも思っているんですが。
夢を介して相手の頭からDCミニを奪って、起きたら手に夢で奪ったDCミニを握っている、も映画で描いてほしかったな…。
夢の中での格好のまま現実にでてきてしまう…は時田ロボとかパプリカのまま現実を飛び交ったりしていたから映画でもやっていましたけども…。
乾副所長と小山内くんについて
映画において乾副所長のことをあまりにもマイルドに勘違いしていた。
映画を見た時点で、自分は乾所長にたいして『DCミニを使用すれば他者の思考を乗っ取って自分のものにできる、という発想をした結果「これ以上老いたくない、特に既に不自由になっている足をどうにかしたい」と考えていた』と解釈していたんですよね。車椅子だったし。
原作を読んでまぁビックリなんですが、過去自分がノーベル賞受賞候補に選ばれるも受賞できなかったことで僻み・捻じれ、今回の受賞候補となった千葉・時田を邪険に思っており、研究所から追放、ないしは亡き者(殺すまたは廃人にする)にしようとしていたわけです。
加えて女性のことを差別的に見下していたため千葉については小山内に「強姦してこい」とか指示しているわけです。
小山内も一度犯してしまえばもう女は強く出れないとか考えて普通に同意決行しようとするわけです。
思想も行動も過激すぎる。
……いやべつに映画でもここは明確に小山内は普通に夢のなかでパプリカ(千葉)を犯そうとはしてたか…
まぁ、映画では粉川の救出で未遂、原作でも結局千葉に好意を抱きすぎていて、いざ行おうとしたら勃たないとかいう事態に成るわけですが。
そのくせ同性愛信仰みたいなのも患ってる。
とはいえ上記強姦をDCミニで感覚共有しようとしていたのでゲイではなくバイなんでしょうけども。
ヤバすぎる。節操がなさすぎる。
そもそもこの作品の登場人物貞操観念みんな狂ってる。それはまた後ほどなんですが
映画において乾さんと小山内くんえっちなことしてたんだ!が正解だったことに大笑いしていた。
している場合ではない。
映画での表現のマイルドさ
さきほど『この作品の登場人物貞操観念みんな狂ってる』と書きましたが
後映画の感想で作品冒頭のパプリカと粉川ぜったいエッチなことしてたと思う!寝室でバスローブだったし!と書いてたんですが
映画においてどうだったかはおいといて原作においては「エッチなことしてた」で正解という。
実際には『夢の中で性交をしている』という話なんですが、現実で交わってはいない。
けれどDCミニで感覚共有をしているので下手したら実際の現実での性交よりもより深く交わっている…
みたいなそういう解釈・描写になっているわけです。
時田とも島所長とも端末の調整・実験や治療でやはり同じように接している模様でした。全員穴兄弟。
その他上記の「女は強姦してしまえばいい」とかいうヤバ思考もそうですけど、DCミニの複数回仕様により夢から覚醒しづらくなったさい、性的興奮により達することは覚醒につながる、らしく(果てると目覚めてしまう、ほか失禁とか)目覚めるために3Pしてたりとか
官能小説もまぁまぁびっくりでは?という顔をしていました。
官能小説と書くには具体的に行為の描写があるわけでもないので『偽りあり』となってしまうんですが。
マイルドさでいうと、性交の間接表現のみではなくグロ表現においても相当マイルドになっています。
というか事故や建物の崩壊、異様な笑顔で飛び降りていく人々、の描写はあれど、死体の描写ってたしかさすがに一つもなかったと思うんですよね、映画では。
飛び降りた結果潰れた屍肉が描写されるでなく、事故の際に交通事故の被害者の四肢が描かれるでもなく。
想像させる程度のものでしかない。
建造物は取り返しのないほど壊れはしたけど、人命については「悪い夢だったのかな」と思わせることもできそうな程度の描写。
まぁ、当たり前といえば当たり前なんですが。残酷作品としたいわけでもないと思うので。
一方で小説では、まずそもそも氷室くんが惨殺死体遺棄をされています。
乾副所長も地下こもって衰弱死をします。
その他『夢から現れた虎に喉元を食いちぎられ死んだ』人あり
『悪夢でハンドルを誤って交通事故で死んだ』人あり
『夢で化物と化した乾副所長に目玉をくり抜かれ睾丸を握りつぶされ焼き殺されたのが現実でものそまま反映されて死んだ』人あり…
最後のなんてどう言うとことだよほんと。
夢で受けたダメージを現実でも受けている(下手したら死ぬ)はちょっと分かりづらかったですけど千葉の夢の中で粉川が小山内を撃ったあとに千葉が寝ていた部屋のガラス壁に血の手形がついていたのがそれ、ですよね確か。
睾丸潰され眼球くり抜かれ焼死体が血の手形で済まされているのだから本当にマイルド。
改めて映画においても生死が危ぶまれるようなことをしていた人たちは間違いなく死んでしまったんだろうし、思っていた以上に大惨事ではあったんだろうな、と理解を深めた次第でした。
時田と千葉とバーの二人
映画ではたしか粉川がバーのサイトにアクセスすると、千葉からの言付けだという形で受け取ったメッセージカードに結婚の報告があったのだったかな。
原作ではバーにみんなを読んで結婚報告をする。上記の通りある意味「みんな穴兄弟」であるので結婚報告とともに行われる謝罪にちょっとクスッと来るところがあるんですが
(とはいえ能勢と粉川は既婚者なので不倫に近しいから良くないよ…)
そもそも原作は書かれたのが92年なこともあって『ウェブサイト』という概念がない(少なくとも普及はしていなかったはず)ので、現地に集まっての報告に成るわけです。
で、映画においても地味なようで特殊な立ち位置、声をあてたのも監督と原作者という玖珂と陣内について。
原作においても、最初はただの会合場所のバーと、そのバーテンでしかなかったはずが、終盤の戦闘において加勢をしたら驚くほどに「夢を現実に持ち込む際の振る舞いと戦い方がうまい」というビックリ人材でという不思議人物達です。
加えて、原作においては物語の〆は二人のみが描写され二言三言交わして終わる、という。
それがまるで、突然今までの全てが二人が夢想した荒唐無稽な想像だったのかも知れないと思うほどに、別レイヤーでの出来事のような静かな終わり方に感じたんですよね。
その彼らの立ち位置を「インターネット」を舞台を一つ置くことで、違和感なく描写をしているように感じました。
バーのバーテンというのは雰囲気をだしやすいので「不可解だけどかっけー何でもあり」を背負わせやすいような偏見があるんですが。便利なオチ担当のように言うなという話でもあるんですけど…。
夢という非現実にインターネットという仮想現実を加えたことで、あのバー空間自体を『夢と現実のちょうど中間にある仮想現実』だったとしていたような気がします。
そうすることであの二人の不思議な立ち位置の違和感を解消させて、説得力すら持てせていたように感じて本当に巧妙だな、と思いました。
映画、1度しか見てないので、あのバーには現実において地に足つけて入店している描写がきちんと合った場合ちゃんと申し訳ないんですが…笑
本は本でたのしかったな~踏まえてまた映画見たい気持ちもある
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